【呪術廻戦】五条悟の六眼の効果や元ネタの考察

五条悟が持つ六眼について、その効果や元となった言葉について考察しました。

六眼とは

六眼は五条悟が持つ特殊な体質であり、呪術界の御三家である五条家に代々遺伝により伝わっています。

六眼には呪力の流れが詳細に見えるようになる効果がある他、相手の術式の効果が分かるという能力もあります。

五条家の相伝の術式である「無下限術式」は、六眼による細かな呪力操作が無いと上手く扱えないという代物です。

140話では乙骨憂太が五条悟について「でも先生には六眼があるから術式を発動した時のロス呪力が限りなく0なんだ」と語っており、呪力でのパフォーマンスを良くする効果もあるようです。

出典:呪術廻戦140話より

68話伏黒甚爾は五条悟の事を「うん百年ぶりの六眼と無下限呪術の抱き合わせ」と語っており、六眼と無下限術式を併せ持った五条家の呪術師が生まれるのはとても珍しいとされています。

五条悟のほかに六眼と無下限術式を併せ持った呪術師は、慶長か江戸時代辺りの五条家の当主が存在していたそうです。

その後の年代に同じ能力を持った呪術師が生まれていないのなら、400年近く六眼と無下限術式を併せ持った呪術師は生まれていないことになります。

五条悟と六眼

五条悟はほとんどの場面で目隠しか、普通の人では真っ暗でほとんど見えないような濃い色のサングラスをしています。

六眼では目隠しをしていても呪力の流れが分かり、高解像度のサーモグラフィーのように見えるために不便が無く、逆に視界を覆ってないと、目に見える情報量が多すぎるため脳が疲れてしまうとのことです。

五条悟は基本的に戦いの場面でしか、目隠しやサングラスなどを外していないです。

漏瑚と初めて戦い、領域展開「無量空処」を使用した時や、京都姉妹校交流会団体戦での花御や呪詛師の襲撃で虚式「」を発動した時、過去編での伏黒甚爾との二回目の戦い、渋谷事変で特級呪霊達と地下鉄のホームで戦った時などは目隠しやサングラスを外して裸眼で戦っています。

戦い以外で目隠しやサングラスを外したのは、過去編で天内理子のクラスメイトにイケメンだと騒がれていた時に一瞬外したのと、0巻最終話で夏油傑と最後の会話をしている時です。

夏油と話す前、ミゲルと戦っていた時は包帯のような目隠しをずらし、片目しか出していない状態でした。

出典:呪術廻戦0巻最終話より

場面が切り替わり、高専で夏油と対峙した時は包帯のような目隠しを全て外していたため、親友であった夏油との最後の会話はきちんと顔を見て話したかったのではないでしょうか。

出典:呪術廻戦0巻最終話より

六眼の元になった言葉

出典:呪術廻戦15話より

六眼の元になった言葉はおそらく仏教に伝わる五眼です。

五眼は肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼の総称を指し、真理を識る力の事を五段階に分けたものでもあります。

肉眼は普通の人間の眼の事を言い、天眼は天界にいる天人という、前世で良い行いをしたものが持つ眼の事を言います。

慧眼は二乗の人が持つとされている眼で、二乗は声聞乗と縁覚乗という仏弟子や修行者の事を指しています。

法眼は菩薩が持っている眼で、衆生を救うために仏門の全ての本質を見る事の出来る眼の事を言います。

衆生とは仏教用語で六道を輪廻する生きとし生けるもの全ての事をいい、衆生は六道の中で何度も生まれ変わり、最終的に解脱を目指すというのが仏教の世界観です。

仏眼は仏陀が持つとされている眼であり、前の四つの眼の能力を全て備え持っているとされています。

六眼は五眼よりも数字が一つ大きいです。

五眼の能力より一段階上のものだとしたら、足された能力では何を見て識ることが出来るのでしょうか。

五眼を持っているものは仏門の中の生物の全てを見て識ることが出来ますが、言葉を変えれば仏教の世界観から外れた生物ではない物は見えないということになります。

衆生から外れた理のものが呪力や呪術であるとするなら、呪力の流れが見える眼は五眼よりも優れているため六眼と名付けられたのかもしれないです。

また、呪力の流れのほかに相手の術式の効果が分かるのは、法眼の全ての本質を見る事の出来るという能力を元にしている可能性があります。

呪術廻戦の世界と神話や仏教説話の関係

出典:呪術廻戦77話より

77話では呪霊が産土神(うぶすながみ)として信仰されていたことで、強化されていたケースもあると七海健人によって語られています。

また、特級仮想怨霊「化身玉藻前(けしんたまものまえ)」や、自然への畏怖により生まれた花御のように、神話として恐れられていたものも呪力の受け皿となって呪霊となることがあるとされています。

呪術廻戦の世界の神話は呪術や呪力により起こる出来事を、呪いの見えない一般人が都合よく解釈したり、後世に伝えたものであるのかもしれないです。

夏油が0巻最終話で語っていた「人は食物連鎖の頂点に立ち、更に高位の存在を夢想しと呼んだ。おかしいと思わないか?夢想せずとも我々呪術師がいるというのに」という言葉もある意味真実である可能性があります。

74話では盤星教代表役員である園田茂は「呪術界と宗教法人の相性は最悪」と語っています。

これは一般的に宗教が様々な人に広く教えを説いていく方向になっていくのに対して、実際語られる奇跡や神話は呪いが見えるマイノリティが起こしているため、実態がねじ曲がって伝わっていくからである可能性があります。

そしてそのねじ曲がって伝わった話から、想像されたものが呪いとなっていくなら、確かに呪術界にとって宗教法人は相性が良くないものである可能性は高いです

五条悟の目の色の意味

出典:呪術廻戦52話より

五条悟の目は作中では青色で表現されています。

青色であることが六眼の特徴かは明言されていませんが、青色は仏教の中でも五色という如来の精神や知恵を色で表したもののひとつとして数えられています(ただし日本の仏教では青は緑色で表現されています)

青は如来の髪の色であり、心が平静で穏やかな状態を表しています。

また、青色の種類の一つである瑠璃色はその名の通り瑠璃という宝石を元にした色です。

瑠璃は仏教の宝の七宝の一つで、仏教世界の中心にあるとされる須弥山から産出される宝石だと伝えられており、現実の宝石ではラピスラズリが当てはめられています。

ラピスラズリは古代エジプトでは、ファラオや王族、神官が身に着けていた聖なる石で、人類で初めてパワーストーンとして用いられた石でもあります。

ラピスラズリのパワーストーンの効果のひとつに知恵や洞察力を高め、意識を洗練させるというものがあります。

五条悟の六眼が青色であるのは、上記の歴史や色の持つ意味などから、真理を知る、見えないものが見えるという効果を表しているのかもしれないです

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